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a)ジロト沢左俣大滝 無雪期
いきなりの100mスラブ状大滝に始まり、他にも80m大滝と、滝また滝で一気に高度を上げる沢である。しかっしこれでもジロト沢入門だ。中間部には、水が本流とインゼル側にわかれる略奪点があったりと、ジロト沢の怪しさを一層際立たせている。ちなみに略奪点からの眺めはとにかく最高。布晒ノ大滝に左岸スラブ群など、いつまでも見飽きることはないはずだ。
大滝を追えると、いきなり流れは幅2mの小沢となり、3mの滝をいくつもかけながら、大兜山へ向かっている。沢から30mほどヤブを漕ぐと稜線であり、この手軽さがたまらない。
◎資料・記録
○01年9月 岩下(無所属)・三好(秀峰登高会)
○01年8月 木下・太田(日本山岳会青年部)
○00年8月 榎並・山田(慶応大学山岳部OB)
○99年10月 木下・佐藤孝・長谷川・石川進・望月(東京岳人倶楽部)
左俣大滝を登攀後、インゼルルンゼを下降。
○98年10月 須田・今井洋(わらじの仲間) 年報22「わらじ」
○97年8月 菅井・石川・岩下(浦和浪漫山岳会)
◆小噺
日本登山体系によると、ジロト沢の踏査が始まったのは東京白稜会により1970年からとなっているが、実は4年も前の1966年に入ったという一つの記録がある。これは長谷川昌雄氏(東京岳人倶楽部・黒部の衆)のものだが、はじめてジロト沢に入った時は、五十沢支流の不動滝前沢をつめて、三ツ石山右稜に立ち、ジロトの頭を経由して、ジロト沢左俣へ降り立ったという。氏から見せてもらったアルバムには、展望台から見たジロト沢上部の写真やインゼルルンゼの写真などがきれいに整理されていた。最後は、重松越路からの川沿いの道を通って野中まで。当然、三国川ダムもない時代の話である。
b)ジロト沢右俣大滝(布晒ノ大滝) 無雪期
ジロト沢を代表、いや上越を代表するくらいの名瀑。小泉(ゼフィルス山の会)・森下道雄(西朋登高会)両氏の同時初登攀以来、記録上では4登を数えるのみ。下部はハングした100mの大滝がかかり、その上にはスリップが許されない数百mにもおよぶ大スラブ滝が広がる。
一見して谷川/一ノ倉沢の滝沢第3スラブといった感じだ。下から見ると妙な威圧感があるが、一ノ倉沢のようなどんよりした雰囲気がないのがまだ救い。難しいがおススメの1本。
冬になったら未踏の大氷瀑がかかるかもしれない。雪崩さえ回避できれば狙える時代が来るか?
◎資料・記録
○81年10月 小泉 他(ゼフィルス山の会)
○81年10月 森下 他(西朋登高会)
Cルンゼから尾根を越えて大滝上部のスラブに降り立つ
○98年10月 宮内・坂井(わらじの仲間) →年報22「わらじ」
○01年9月 木下・古田(日本山岳会青年部)
大滝右壁をほぼダイレクトに登る新しいラインを引く(V,11ピッチ)
c)ジロト沢左岸スラブ 無雪期
ジロト沢は2つの大滝だけではない。本流左岸に広がる大スラブ群がそれである(なぜか右岸にはスラブはない)。1970年代に入り、東京白稜会やゼフィルス山の会などによって精力的に登られたが、最近は以下の記録以外は登ったという話を聞かない。A〜Gまでのスラブ群があるが、アプローチや長さなどを勘案して、Bルンゼが最も楽しいのではないだろうか?
ちなみに、どのスラブまでも取りつくまでにゴルジュ帯の突破は避けられない。そのため、ゴルジュが雪渓の下にある比較的早い時期に取りつくと、“いいとこどり”ができていいかもしれない。
◎資料・記録
○01年6月 榎並(日本山岳会青年部)・橋本(東京大学WV部OB)
ジロト沢Bルンゼ左スラブを登攀後、滝沢左俣を下降
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