江本 嘉伸
僕はそろそろ山が自分の人生に意味するものについて何か書かねばいけない、と思い出した。
それは僕の思考の範囲では、随分煮つめられているものである。だが、こうしてペンを走らせるとなると、なかなか困難な事であり、書こうとする事によって次々と新しい壁にぶつかると思うのだ。人生に真摯さを通そうと思えば、この壁への闘いは中断されてはならない。僕は自分が結局この事について何かの結論を出せるとは思っていない。きめつける事によって生まれた結論というものは、この場合意味がないのだ。大切な事は僕が真摯であるかどうかを知ることであり、それを証明する事なのだ。
自身にわかりやすくするために、簡単な理論・・・常識・・・から出発しよう。
何故、これほど僕は山を好きなのか。それは僕が「自然」の姿にあこがれるからである。そこには人間の存在に関わりなく、大きな空があり、固い岩があり、美しい草花が咲き乱れ、清流が流れるからである。その限りにおいて僕は、自分の庭に咲いた一本の花を眺めるのと同じように、山や森についても眺める事だけで、十分満たされるだろう。
僕が人間以外のものに向ける、関心、好奇心、あこがれ、・・・それが登山という行為の発想である事は確かだ。
「自然」は僕にとって未知のものである。僕の好奇心は探求心となって、自分の知らぬ頂きを目指すようになる。未知のものを探り出そうとする心は、人間の本能と言えるだろう。じっと眺める事だけに終わらずに、さらに高い所のものを見たい、高い所から見下ろしてみたい、と僕の心は希う。_それには高ければ高いほど肉体の疲労を伴う。人から離れれば離れるほど孤独感が強まり、精神のアルバイトも大きくなる。精神のアルバイト・・・それは「自然」への恐怖感を意味する。僕が山の美しさに浸るばかりでなく、自分という人間について考えさせられるのは、この恐怖感との闘いにおいてなのだ。山の美しさは僕を強くひきつけ、山の恐ろしさは僕に裸の己との対決をせまるのである。
頂上という存在が具体的にも、抽象的にも、僕をとらえる。頂上は僕の一つの理想である。そして、頂上への道が高く険しければそれだけ激しく、僕をとらえる。肉体と精神の受ける苦痛・・・そこから逃げたいという気持ー逃げたいと思う気持との闘い・・・これこそ生命の闘いと呼ぶべきものだ。生きることへの激しい欲求をこれほど強く抱けるなら、そして、それを死ぬまで燃やし続けていられるなら、どんなに幸福なことであろう。
とすれば、生と死の境でしかその幸福な瞬間への道を見出すことはできないのか?死ぬほどの切実さ、そいつがなければ、真の幸福にはたどりつけないのか?・・・僕はびくびくしながら尋ねる。そして答はおそらく“Yes”だ。
生きてゆくにはこれほど切実でなくとも構わないだろう。人間の生まれてきた理由、それは誰にもわからない。どうしろこうしろ、と決めるわけにはいかない。
人は多くの事を知らないだろうが、それらを明らかにしたいと希う心は誰もが持っているのだ。結局、何もわからないとは言え、なおかつ生きる事の意味を解きたいと望んでいるのだ。僕にはアルピニストという者が、その事をはっきりあらわしているように思える。手さぐりの人生、具体物である「山頂」、この二つのもの、・・・抽象と具象・・・が僕らの生について、示唆をなし得るのではなかろうか。
ここで僕は何か一つのものを腹にしまったように感ずる。だが、山が僕の人生に意味するもの、その事はまだ書き尽くしていない。僕の人生の他の部分、僕が生きてゆく場所、その事を考えずして僕の山頂はあり得ない。山で強烈に僕の胸をえぐるものは人間への恋しさである。全く、僕はひとりだったら一日も生きられないだろう。
僕がひとりではないという事は、例えば僕が大学生とい立場にある事によっても自明である。社会に対しての義務といったようなことはあまり考えない。僕をつつむ社会も、反面僕を殺そうとする時があるからだ。
生活のためにこそ何かをせねばならないのである。僕の限りなく愛する者達の居るこの生活。そして僕にはこの生活のためにまで山登りを続けて行くような事はできない。職業登山家・・・ガイド、小屋番・・・にはなりたくない。
僕は一生山登りは続けようと思うが、それでも実際には登れない時も多いだろう。死ぬほどの切実さなどというものが遠い昔の事に思われる時が来るだろう。はっきりしておく。それが僕の登山の限界なのだ。
僕には所謂アルピニズムという言葉が最近まではわかっていなかった。それは「一生」夢を現実へと努力する事と思っていたのだ。だが、そんな言葉はどうでもいい。第一尾根を登ってしまったから次は・・などと探すのはよそう。現在の僕にとって氷雪の第一尾根を登る事は実に大きな事だ。しかもなお(なぜ登らなきゃならないんだ!)という声が心に起きる。ああ、登ってしまったらどんなに幸福だろう! どんなに世界が優しく感じられる事だろう!
書きながら、自分が他人に向かって「せめて“アソビ”とだけは呼んでくれるな!」と叫んでいる事に気づく。
僕にとっても、山は哲学なのだ。
登山という行為が、ごく個人的なものであるにせよ、せめて僕の愛する者達ぐらいには、この真剣さをわかってほしい、としみじみ思う。そんな時、山を登る者の淋しさをつくづく感じるのである。
いま、山岳部のリーダーとなって、同じ部の中にも各人各様の山がある事を今更のように思う。それは悪い事ではないが、やはり淋しい気がする。皆が山を通して、あの宝・・・自由・・・を得ようと努力するならーだが、何をか言わん。真実こそ全ての武器だ。
いま、冬山にしても僕にはまだまだ重荷だ。リーダーとして十何人かのメンバーを動かすーそれはつくづく難しい。だが、安易に生きる事はたやすい。冷厳な対象である山。僕がリーダーであるという非情。それこそ、僕の生命の闘いと言おう。
まさにサイは投げられた。けわしく、生きるとは何かを教えてくれる道が、僕の前に続いている。(1961年11月8日)
二号出た「きりぎりす」を開きながら、書き手たちの、乱暴な清清しさを思った。書く場のあることはいいことだ。この冊子の発刊を思い立ち、山に登りながら、表現の世界を広げようとしている人たちに敬意を表する。苦労もあるだろうが、自分たちの表現の場を持つことの意味は、当事者が思う以上に大きく、他を刺激するという意味で影響力を持つ。この志をつなげていってほしい、とおもう。
私のような者にも何か、と頼まれて、山岳部時代に書いたものを恥を承知でさらすことにした。日記に書いたものであり、勿論これまで誰にも読ませたことはない。当時の私と同じ年代の読み手が多い、と推測して、新たな駄文を書くよりは・・と掲載させてもらう。
私のいた東京外語大山岳部は、当時毎年のように槍平にベースを置き、末端からの滝谷をねらっていた。私自身AからFまで滝谷の沢のすべてをアイゼンをきかせて登下降している。とりわけ第一尾根が課題だった。三年の秋、はたちになったばかりでリーダーの立場に立たされた臆病な私にとって、それを終えるまでの日々は、今なお鮮烈な思いとともに蘇る。第一尾根は62年3月19日から20日にかけて、ワン・ビバークで登りきった。左腕の故障でBフェースは捲いた。この日記は、その四ヶ月前のものだ。青々しい内容だが、文章は一字一句も変えないままとした。
(2001年4月27日)